白い犬

にしかわしょうご
 

     薄ら寒い北時雨の降る すぐる日曜日
     そいつは白い犬の皮をかぶってやって
     きた

 あの犬が 山峡のこの村にまよいこんだのは 四
日前の 日曜日の朝だった 十人ばかりの ハンタ
ーの 群にまじって 医者だとかいう でっぷり太
った飼主に 連れられて 赤と黒とに塗り分けた二
台の 左ハンドルの車に乗って あの 白い犬はや
ってきた

 青竹をそいだような ぴん と立った耳 しまっ
てよく伸びた肢体 鼻先の湿った 猪犬としてもっ
とも大切な勇気と敏捷さ をもつそれは まぎれも
なく典型的な紀州犬だった

 そこらあたりにうろつく雑種の 田舎犬とはくら
べものにならぬ 気品をあの 白い犬はもっていた

 なにしろ 掌に入るような仔犬に五十万払ったの
ですから と その太ったハンターは言い そりゃ
大切にしていますよ 何しろ 家では肉ばかり そ
れも血の滴るような奴を喰わせています と 彼は
 百万と無造作に言った愛用の 短いライフルに弾
丸を込めた

 やがてハンター達は 山を囲んで散開する 勢子
が犬を放つ 疾風の如く山肌を駆る数匹の 犬の先
頭にあの 白い犬はいた 鋭い犬の鳴声が山頂附近
で起きる 狩りたてられた一匹の猪が石塊のように
 笹原をわける ヅーン ヅーン こもるような独
特の 消音ライフルの 銃声が 山々にこだまする

 丹精の稲田を食い荒されて猪とは仇敵同士の村人
たちも 銃声に 忙しい野良仕事の手を休め 山頂
を見上げる が 自慢の腕の 狂いか弾丸は猪の背
をかすめ 怒った猪は 近づく犬に牙をかけ 続い
て射ち出される 弾丸よりも 早く 山を越えた

 その手負猪を 追って 白い犬は走った 他の犬
が恐れて近づかぬ 手負猪を 追って白い犬は 山
を越えた

 一山を越えたのか 二山を越えたのか それはあ
の白い犬 だけが知っていて他の 犬も 飼主のハ
ンターも 村人も 誰にもわからない 谷を渡り
山を越えて 執拗に 手負い猪を追って いるうち
に いつか 猪の姿を見失い あまりにも深追いし
すぎた自分に あの白い犬は気づいたのであろう

 白い犬は 慌てて 引きかえそうとする しかし
山は 意外に深い 街育ちで獲物を追う訓練だけ
しか受けていない 経験をもたぬ若犬の悲しさ 白
い犬は帰路を失ってしまった

 白い犬は 狂気のように 山を越え 谷をわたる
 しかし いくら走っても吠えても 帰るべき道も
 主人も 連れ立った僚犬の姿も 見当らぬ

 山すその段々ばたけで 焚き火をしながらハンタ
ー達は 白い犬を 待っている 呼子笛を吹き 空
砲を射って 犬を呼ぶ ダン 消音器をはずしたラ
イフルに 帰ってくるのは ダン 山彦ばかり

 暮れ易い晩秋の陽は 既に西の 山端にかかり
光を失っていた

 大阪まで三時間半はかかるからな うまくいって
の話さ 近頃はやたらと信号がふえたんで 四時間
は充分かかるぜ ハンター達は太ったハンターの方
をぬすみみしながら 弾倉から 弾丸を 抜く 太
ったハンターは それに答えず ダン また空砲を
鳴らす

 帰りましょう 仕方がない ややあって飼主の
太ったハンターが言った そのうちに帰ってくるで
しょう 村の人に頼んでおきます そうしますか
なにしろもう六時をまわりましたから ハンター達
はそれぞれの 犬を車に追い込み 二台の車にわか
れ乗る 夕もやが 車の わだちを包み消してゆく

 その夜半 山中に蘇った 動物本能 に導かれて
 白い犬は 主人のいない 山峡の村里へ帰ってき
た しんかんと 眠り静まった わびしい村中を 主
人の残り香を求めて 白い犬は 彷徨い歩く 一条
 ぬかるみに残った車のわだちを追って 白い犬は
走った が そのわだちは 本街道の アスファル
トに入って 消えていた ばらつく雨 風に舞う木
の葉 空には 月も 星もない

主人や 僚犬たちの 残り香のもっとも濃い 焚
火のあとに 力なく 白い犬はうずくまる いつか
 風は凪いでいた 降り始めた霜が 容赦なく 白
い犬の肌を刺す ち切れた雲間から 細く やせた
 遅い夜明け月が顔をのぞかせる 白い犬は啼いた

 姿のない主人 きらめくネオン 優しかった女の
子 女中の誰彼 食いきれぬ肉塊

 ウーワン 啼いている中に 白い犬は 己れの空
腹に気付いた とり残された 悲嘆の鳴声がいつか
 餌を求める吠声に変わっていった しかし いく
ら吠えてみたところで ここは知らぬ山峡

 鳴き疲れた白い犬は やがて のっそり立ち上が

 あっ 白い犬や 朝 寝ぼけまなこをこすりこす
り 顔を洗いに出た子供の声に 十戸足らずの そ
の山峡の村は大騒ぎとなった なにしろ五十万はす
るという犬であった 捕まえてくれた人には充分の
 お礼をするとあの 太ったハンターは言い残して
いた 村の誰も彼もが目の色をかえ 女たちは 喰
いのこした魚の頭をばらまいた

 だが 白い犬はそんなものには目もくれなかった
 近づく村民達には牙をむいた 白い犬は真っすぐ
 鶏小屋の方へ走った あっという間もない出来ご
とだった 首を喰いち切られた鶏の羽ばたきに 仰
天したその家の 若い衆が大慌てで犬を追う 若い
衆の振りおろす棒の下を 白い犬は疾風のように 
くぐりぬける かねて 訓練所で受けた訓練がもの
を言った

 満腹となった白い犬は 山中にまどろんで 街の
夢を見た 優しい主人 かぐわしい女の子の手

 夕方 空腹となった白い犬は また 村へ姿をあ
らわした しかし 今度は村人も油断していない
五十万円にためらいながら 憤怒に燃えた 若い衆
の棒を二つ三つ 背中に受けて白い犬は悲鳴を あ
げた その時から 白い犬は 昼間 村中に姿を見
せなくなった 山には山の掟があり 村には村の掟
があると おくればせながら 白い犬は悟った

 空腹をかかえ 町の主人を恋いながら 白い犬は
 山中を彷徨った 百姓のくれる魚の頭を喰えば
こん棒を受けなくてもよかった しかし 肉より他
は口にしたことのない 白い犬 であった 肉より
他は喰えないように 育てあげられた 白い犬 で
あった 棒の痛さと 空腹が 白い犬の混乱した頭
の中で争った

 狼のように 血にうえた瞳で 白い犬は山を下っ

 畜生 またやりやがった 朝 無残に喰い荒らさ
れた鶏小屋で若い衆は 地団駄をふんだ 地団駄を
踏んだその足で 若い衆は村の猟師のところへ走り
こむ あいつを射ち殺してくれ 射ち殺すのは手易
いけど あいつは五十万もする犬だでな 雑種の仔
犬のダニを取りながら 猟師は頭を横にふった

 イヌ、ミツケタガ ツカマラヌ コイ 太ったハ
ンター宛の電報がとんだ カンジ ャテハナセヌ、
ニチヨウビ マデ タノム 日曜日までだと?なに
ぬかしやがる 若い衆は電報用紙を引き裂いた ニ
ワトリコロス スグ コイ ニワトリダ イ、ホシ
ョウスルタノム 金さえくれればいいじゃないか 
と 親父は言った

 多くの患者をかかえた医者なら なるほど 日曜
日でなけりゃ手が離せぬだろう それに金は出すと
いう が なんとしても 若い衆は我慢がならぬ 
肉より他は喰べさせないのです と言った ハンタ
ーの言葉を 若い衆は 改めて考え直してみる 肉
より他は食わんか!

 憎しみが 徐々に 犬から人間に移っていく 死
なん程度に ぶちのめしてくれる 噛み破られた鶏
小屋をつくろいながら 若い衆は咳く

 満腹となった白い犬は 山中にまどろんで 街の
夢を見た 優しい主人 かぐわしい女の子の手 喰
い切れぬ肉塊・・・・・・・・・・・・・・・・

 

----- 詩集「背中」より ---
詩集「背中」収録
詩集「やきものの詩」収録

© Shogo Nishikawa

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